よやく知能が追いつく…

小学校入学…

となりに写っているのは、祖父の家の斜向いに住んでいた幼馴染。彼とは幼稚園から高校まで同じところに進むことに。ただ、この写真を見て分かる通り、身長が全く違いました。私は、幼稚園から体が小さく、一番前。彼は一番背が大きく、一番後ろ。典型的な凸凹コンビでした。

小学校では、2年生まで全く何が何か理解できないに等しく、苦労しました。まさしく、これが未熟児として生まれ、医者から「他の子に知能が追いつくの早くては小学生」と言われた部分だったのでしょう。だから、入学当初は良いものの、2年生になり、掛け算を習い始めると、大変でした。九九を覚えることも…理解することも難しく、よく教室に残されていました。

ただ、そんな中でも、なぜか目標設定をして「社長になる」と、このときにはもう書いていました。しかも、しっかりと逆算をして。イチロー氏や石川遼氏まではいきませんが、会社経営をするには、○○が必要だから、それには大学に行き、その大学に入るには、この高校へ行きと、そこまでの目標設定をしていました。知能が遅れているのに、そんなことはできていたって、不思議ですね・・・

そして、そこから高学年になるにつれて、運動神経は相変わらずで、逆上がりが3年生までできませんでしたが、知能はようやく3年生ころから他の子に追いつき、勉強が理解できるようになりました。そして、気がつけばテストは100点を取るようになり、いつしか勉強は比較的デキる子の扱いになっていきました。

今思えば、習い事も、剣道以外に、エレクトーン・書道をしていたので、何となく良さげな小学生だったのかもしれません。とはいえ、高学年になるにつれて、肥満児に近づき体型のことを気にするようになりました。

修学旅行・箱根の遊覧船にて

みてください、このプクプクっぷり。。。それがコンプレックスになり、何か苦しさ感じる部分もありました。だって、見てくださいよ、この写真。修学旅行のときのものですが、まんまるです。女の子に全くモテなさそー(T T)

卒業文集

ちなみに、こんなものを発見してしまいました。卒業文集です….。おそらく26年ぶりに読んだと思いますが、我ながらうまいこと書いているなと感心してしまいました(笑)まさかここに、ライティングの原型があったとは、驚きました。。。コピーライティングを勉強するのは10年以上先なのに…

卒業文集

もうあとがない…30日間受験対策勉強

そして、中学生になる。。。

この写真の通り、引き続き女の子に全くモテなさそー(T T)ちなみにこの頃は、色気づいて髪の毛を何かやっていたような記憶が…でも、この写真のときは、何もせずに撮ったと思います。

卒業アルバム

そんな感じで、中学生のときは、下手っぴで補欠だったが、バスケが大好きで、バスケに打ち込みました。やっぱり、どうも運動神経が良いほうではないのか、他の人のように上手くいきませんでした。しかも、バスケ部員は全員で100人を超える大所帯。(スラムダンクの影響&マンモス校であったので)

だから、1~2年生は、体育館で練習することはなく、ひたすら外を走りました。ただ、外で練習をしていても、なぜか上手い人は上手い…だから、私はとにかく根性論で体力をつけるしかないと思い、他の人が先生の目の盗みサボっているときに、とにかく与えられたトレーニングに取り組みました。でも、やっぱり、上手い人にはかなわないという残念な結果でしたけど…

勉強は、学校内では「上の下」という、微妙な位置をキープ。私が志望していた高校は、宇都宮で2番目に良いとされる男子校だったので、クラスで2~3番目にいれば良いという、超中途半端な位置。これがメンタルブロックとなり、上の下をキープ。

ただし、親との約束で「10番以内に入ったら、高級オーディオを買ってもらえる!」というものもあったので、メンタルブロックがありつつ、必死に頑張る…そうしたところ、何と5教科ではなく、9教科で「9番」になり達成!!ということで、「ね~、9教科でもいいでしょ?10番以内なのだから」と言って、なぜかギターを買ってもらいました。

実は、私、幼稚園のときからベースが弾きたくて仕方がなく、そのためにまずエレクトーンをやり、次にギターを始める計画でした。ですので、ここぞとばかりに、オーディオをやめ、ギターを買ってもらうことに。とにかく、3年生の1学期くらいまでは、バスケもレギュラーになれないものの好きだったので楽しく、勉強もそこそこだったので、比較的順風満帆に過ごしていました。

だが、事件が…

そろそろ、高校入試が始まる時期、先生と三者面談をしたところ、、、「秋山、この成績では志望校に入れないよ」と先生から一言。入試まであと1ヶ月…気がつけば、部活が夏で終わり、なぜか合唱部にスカウトされ、そのコンクールも金賞を受賞し、私は余裕をぶっこいて、勉強はそこそこになっていました。というより、放課後は推薦入学が決定したメンバーと、スケボー三昧でした(汗)そんな遊びほうけている私の一方で、周囲がラストスパートをかけていて、私は抜かれていることに気が付かなかったのです。何と残念な話…

ですから、その日からスケボーと推薦入学が決まっていると友だちとの遊びを経ち…超直前「30日間受験対策勉強」が始まりました。あっ…ちなみに、親も余裕ぶっこいていて、、、「私の時代は、誰も入試に向けて学校の授業以外勉強していなかったわよ」という感じでした。そんなわけですので、30日間は、親子共々必死に頑張りました。朝5時に起きて、過去問題集を5年分解く。これをひたすら30日間繰り返しました。最後は、残り20日程度ですが、塾に行かせてもらい、土曜も日曜もなく、朝から晩まで必死に勉強しました。

ちなみに、そのときの私のモチベーションは、あのときの素晴らしい目標設定はどこへやら…「あの高校に入れなければ、自転車で1時間以上かけて通学しなければならないからイヤだ!」というとても不順なものでした。だって、志望校は自転車で15分かからないところだったので。

そして、運命の試験結果発表…

晴れて合格!!!!!

と、ここまでは良かったのですが、高校に進学すると…また試練が待ち受けているのでした…

ここれが、私の波乱万丈でおもしろ人生の開幕なのでした・・・

続きは次のページをお読みください。「波瀾万丈の幕開け」「30人中2人しか落ちない面接で見事に2人に入る…」…